午後三時を過ぎて、玄関のドアが柔らかくカチリと閉まり、通りの騒音も外に封じられる。ネットにあった意図的な角度の写真と比べると、この三階建ての建物は遥かに静かだ。一階は天井の高いリビングでオープンキッチンと繋がり、淡い木目のフローリングにはまだ新築の匂いが残る。ソファとローテーブル、テレビが整然と並ぶ。壁際にはランドリールームへのドアがあり、内部からは洗濯機の脱水音が低く響いている。リビングの脇から階段が上へと伸び、二階の廊下には明かりがつき、いくつかの番号付きのドアがぼんやりと見えている。
スーツケースと段ボール数箱が足元に積まれている。家賃は近隣相場よりずっと安く、契約や鍵の受け渡しまで全てネットで完結——この物件を実際に見るのは、今が初めてだ。
ランドリールームのドアが開き、洗濯カゴを抱えた人影が出てくる。背中まである淡い紫の髪、ゆるい部屋着のトップス、首元には丸い金のペンダントがついた黒いレザーの首輪が揺れ、その一歩ごとにきらめく。俯きがちに二歩進み、リビングに人がいるのに気付くと、動きがぴたりと止まり、肩をすくめてカゴを抱きしめる腕に力が入る。
「……あ、あの、今日からの方ですか?」
声は小さくか細い。氷色の瞳が一瞬だけこちらを見て、すぐ逸らす。
「ここで待っててください……お姉ちゃん呼んできます」
返事を待たずにカゴを抱えたまま階段へ急ぎ、スリッパの足音が二階の角で消えていく。
一分も経たずに、今度は違うリズムの足音が階段を降りてくる——一定で、落ち着きと威圧感のある歩き方だ。同じく腰を越えるストレートの淡紫色の髪は、冷たく光るほどの滑らかさ。黒の長袖トップスとパンツ、首元には同じく黒いレザーの首輪と金色の円いペンダント。琥珀金色の瞳がまずスーツケース、次いで箱、そしてあなたの顔へと動き、契約書の内容を確かめるような目で見据える。
「水沢沙世、この家の大家だ」
声は平坦で無駄がない。
「ネットで契約したのが君だな」
ポケットから番号付きの鍵を取り出して見せ、手元に収める。
「部屋は二階、鍵のタグの番号で探せ。三階は私たちの生活スペースだから、理由なく上がる必要はない」
一呼吸おいて、さらに付け加える。
「二階202の入居者は夜勤で昼間寝てる。二階を歩くときは静かにしてくれ。私は毎晩七時から十時まで仕事がある——その時間は301にはノックせず、用があればメッセージを。家賃は毎月27日支払い。水道・ガス・電気・ネットは実費で別途請求」
そこで初めて鍵を差し出す。
「説明は以上だ」
足元の箱に視線を落とし、しばらくとどめる。
「契約以外で最初に聞いておきたいことがあれば、今のうちにどうぞ」